辺りに散った赤い色
カランカランと大きな音を立ててドアベルが鳴ると慌ててMiyuさんが入って来た
「あらあら、どうなすったんですの?そんなに慌てて」
「はぁ、暑いわ、良かった、間に合ったみたいね」
「ささ、ちょっとお掛けになって息を静めて下さいな、冷たいタオル、お使い下さいな」
「ありがとう、冷たっ!でも気持ちいいわね」
奥からNanaが声を聞きつけて出てくると驚いた様子
「もしかして、Shintaroさんが連絡入れたんですか?」
「そうよ~ちゃんと話しするって約束だからさ、それで、今日、ここに来るって聞いたから来たのよ」
「そうなんですの?連絡取れたんですね」
「はい、まだ、番号変わっていなかったみたいです、連絡取れたって言ってました」
「そう、じゃ、どうしましょう、何かお食事かデザートでも用意した方がいいかしら」
「あなた、何言ってるのよ、何かって別にご招待するわけでもないんだし、Nanaに怪我させた本人かもしれないのにさ」
「この時間だし、もう食事は済ませているんじゃないかと思いますけど?」
「そうかしらね、でもせっかくいらっしゃるのにいいのかしら」
「ちょっと、お育ちの良さにも程があるわねぇ、まぁ、そこが良さでもあるんだけど」
モカ系の華やかで上品な香りが広がってMiyuさんの言葉が終わりに近づくにつれて優しくなって行く
「どうぞ、お好きなコーヒーですわよ」
「そうね、香りからして最高だわ」ちょっと小さな溜息をついて、ひと口
「美味しい、なに?これ、なんとも言えない魅惑的な味じゃないのさ」
皆、イベントが始まる直前の様な浮足立った状態なのだろうか、ふわふわと目が落ち着き無く動いている
「Shintaroさんはまだかしらね」
「さっき、仕事が終わったって連絡が来たので、もうちょっと掛かるんじゃないと思います」
「待ち合わせの時間にはまだ、ちょっとあるわね、何かやっぱり食べておこうかな、どうしようかな、あっ、やっぱりそこまで時間はないか」
「Miyuママ、落ち着いて、大丈夫」
「あぁ、そうね、さっき食べて来たんだったわ」
「ふふ、Miyuさんもそんな風にうろたえる事があるんですね、初めて見ましたわ」
きまり悪そうにちょっと笑って、でも、心から笑えてない感じが伝わって来る
その時、そうっとドアベルが鳴った、静かに扉が開き女性の顔が見える
「あら?え?Sakiさんじゃありませんの?お久しぶりですわね」
「あの、はい」
「せっかくご来店いただいたんですが、ごめんなさいね、今日はもうクローズなんです、いつもならちょっとくらいお時間過ぎてもコーヒー飲んで頂くんですけど、今日はプライベートなお客様がいらっしゃる予定がありましてね」
黙って、下を向いたまま立ち尽くしている
「どうかなさったんですの?Sakiさん?大丈夫ですか?」
「ねぇ?ちょっと、もしかして、あなたが?」
「まさか、そんな…」Keiが驚きで後ずさりし、当たった後ろの椅子が音を立てて倒れる
奥のホール席を片付けていたNanaが戻って来た
「どうしたんですか?なんか大きな音がしましたけど」
Nanaの顔をみると急に形相が変わり、ただならぬ気配を感じたMiyuさんとKeiが、咄嗟にNanaに奥へ行くように目配せをする
「あなた、あなたのせいで、私達がどれだけ…」そう言うとカウンターにあったグラスを手に取りNanaに向かって投げつけた
肩を掠めたグラスは横の柱に当たりガチャンと音を立てる
飛び散ったグラスの破片の大きな一つを拾い、握り締めるSakiさん、少しずつ血が滲んでぽたぽたと雫の様にフロアーに零れて行く
「ちょっと、ちょっと、あなた血が出ているじゃないの、手から離しなさいよ」
「Sakiさん、落ち着いて、気を静めて、ね、お願いよ」Keiの声がうわずっている
力のこもった手がSakiさんの感情を物語っているのだろう、じっとNanaを見つめる目から大粒の涙がボロボロと落ちる
「ちょっと止めなさいって言ってるのが聞こえないの」Miyuさんの声が大きくなって行く
さっきからじっとその様子を見ていたNanaが運んできたお盆のグラスをカウンターに置いて、ゆっくりと前へ、そして、Sakiに静かに近づいて行く
「なに?何、考えてるの?Nana、ちょっと待ちなさい」
慌てた二人を手で制止して、そっとSakiの前に立ち、両手で優しく抱きしめたのだ
「手、痛いでしょう?血が出てるよ、でも、心の方がもっと痛かったんだよね、きっと」
Sakiの顔が一瞬で取りついたものが剥がれた様に緩んで、その場に泣き崩れてしまった
ただ、ただ、大声で泣き続けるSakiの肩を優しくさすっているNanaはまるでいつもとは別人の様だった
泣き声が外にも聞こえたのか、急にドアベルが鳴り、大きな音で扉が開くとShintaroさんが凍り付く
真っ赤に染まったグラスの欠片とSakiの手、Nanaの服に飛び散って、そして、辺りに散った赤い色
「どうして?一体、何が?」青ざめた顔で慌てて二人に駆け寄るShintaroさんにNanaが無言で首を横に振る
Shintaroさんが到着した事で少しホッとした表情のMiyuさんとオーナーKei、だが、かける言葉が見つからず、ただ、見つめているのでした
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