コーヒーの香り
雨風が少し静まり唸るようなひゅ~という音も聞こえなくなった頃、ライトが窓に映り一台の車が駐車場に入って来るのが見える
「Shintaroさんね、急いで来たんでしょうね、いつになく停め方が雑に見えるわ」
ドアベルの音が慌てて来た事を知らせると、少し青ざめた顔で怪我をしているNanaを見る
「濃厚で苦みがあるコーヒーだけど、気持ちが落ち着くわよ、取り敢えず飲んでみて下さいな」
コーヒーの香りが広がって行く中、Nanaがポツリと呟く
「一瞬だけど、見えたのは女の人だった、見た事ある人」
大きなため息がコーヒーの香りを吹き飛ばす様にカフェの時間を止める
「実はね、鍵はもう一つあるの、いいえ、あるはずなのよ」
「どういう事ですか?」
「誰も知らない鍵があるって事?オーナーはどうして知っているんですか?」
花々が咲き乱れる美しい庭園を抜けると宮廷の裏に続く、細く長い道がある
両側を塀で覆われていてそこを通る人が見えない様になっている、また、そこを歩く人はほとんどいない
裏の小さな門をくぐり出ると人知れず静まり返った屋敷がある
そこは政変による断罪で廃妃とされ離宮にて幽閉されていた前妃の住まいであった
王様が後継し、まもなく王妃となったが、その直後に反乱は起きた
大王様の側近が王様の継承を阻んで企てたものであったとされ、反乱の首謀者が王妃の父親と血縁関係にあった事から正妃の称号を奪われ廃妃とされた
極めて短い王妃の座であった事と混乱を長引かせないために、官僚達はこの事実を伏せ、公にしなかった
実際は宮中にいる者でもごくわずかな上層部の者達のみが知る事で、年老いた官僚の終末と共に煙のごとく消え去って行ったのである
王様はその王妃に鍵のひとつを複製し、合鍵として渡していた、廃妃となった後、ひっそりと数年の間、影を潜める様に暮らし、やがて病に倒れ、逝去されたため返却されたかどうかは誰も知らない
王様は病に伏せ始めた頃、この事を王妃だけに話すと言われた
鍵の複製を作る事は許されていない事であったためか、他に話す必要が無いと思ったのか、なぜ、王様はその様な事をしたのか、信頼の証としたかったのか、自分の命を狙うものに心当たりがあったのか、思う所はあったけれど、ただ、何も聞かずに王妃も心に秘め、誰にも明かす事はなかったのである
さらに、根拠のない噂がひとつ、廃妃には子があったという不思議な説がある
仕えたものが、その子を連れて逃げ、宮中の外の誰かに託したという、何とも信じ難い話しであったため、信じる者も少なく、噂はいつか忘れ去られ耳にする事は無くなっていったのである
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